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さよならの時

2022.12.28

12月も残すところあと3日。

今日はお世話になった職場の大掃除と忘年会だった。

 

遡ること9年ほど前。

持病の手術をするにあたりハードだった当時の職場を辞め、検査に通いながらアルバイトをして暮らしていた。

当時のハードだった職場は広告会社の下請けをやっていたこともあり、終電まで仕事をしたり酷い時には朝まで仕事をして始発やタクシーで帰りシャワーを浴びてまた出勤したりしていた。客先に打ち合わせをしに行き、会社に戻ってお弁当をゆっくり食べる時間もないので駅のホームでお弁当を食べた時もあった。

身も心もボロボロになっていた時に持病に向き合うタイミングが訪れ、辞めることを決意したのだった。

 

アルバイトになってからはとても気が楽だった。接客特有の忙しさや覚えることの多さにアタフタしていたのも、そのうち慣れた。学生やフリーターの人たちと和気あいあいと仕事をし、詰め込まないように組んだシフトの通りに行けばよかったので病院に行って落ち込むことがあっても気持ちのバランスが取れていたように思う。ただその職種や環境が心から楽しく満たされていたかというとそうではなかった。

 

そうこうしているうちに手術の日を迎えた。

結果は完全に成功ではなく、経過を見るということでしばらく入院することになった。それはそれは落ち込んだ。身体はあちこち痛かった。寝ることしかやることがなくて疲れてしまうし、起きていたら考え事をしてしまうし、夜になると漠然とした不安に襲われ1人で泣いていた。

 

ただそれもひとしきりやり終えると、抜け殻のようにカラカラになった。そこから少しずつ水を吸収していくように、絵を描いてそれを看護師さんに褒めてもらって嬉しくて笑えるようになったり、ディズニーのDVDで勇気をもらったり、お見舞いに来てくれる母や友人たちに励まされたりしながら少しずつ心が潤っていった。

 

正直手術が終わったあと、このまま消えていなくなりたいと思ってしまった日もあった。なんでわたしなんだろうと思ったらひどく悲しくて、なんでこんな手術をしているんだろうと虚しくなって、人の普通をわたしも手に入れたくて、なんだか全てに絶望してしまっていたのだ。

でも、また水を吸うように過ごしている中で、わたしにはまだ好きなものや楽しいもので溢れていることに気付いた。こうして周りに人もいてくれている。そのうちまだ絶望するのは早いと思えるようになっていった。

 

何があるかわからない人生の中、今わたしは生きているのだからそれならいっそ後悔しないように生きようと思った。わたしが心から楽しいと思える場所を見つけそこに身を置いて生きたいと思った。

わたしの病気は直接的に命に関わるようなものではなかったけれど、こうして自分の弱さや現実に直面することで反動的に「今やりたいことや好きなこと、夢にチャレンジして生きないとだめだ」と思ったんだと思う。

 

デザイナーを離れてのんびりアルバイトする日々もゆるくて楽しかったけど、そうじゃない楽しさを手に入れたくなった。元々興味があった職種で、少しでもいいから自分の夢にも近づける会社の求人に片っ端から連絡した。未経験だったが熱意だけを持って全力で挑んだ。

そこで出会い受け入れてもらえたのがお世話になった今の会社だった。

 

6年プラスお手伝い1年の計7年間の時間は、本当に楽しくてわたしにとってかけがえのないものになった。この会社でできた数々のお仕事は私の人生の誇りとも言える。

そんなことを思いながら、使い込んだ場所を掃除していたら思い出とともに涙が込み上げてきた。

 

手術のあと絶望し灰色になりかけていたわたしが踏み出した先の世界に彩りを与えてくれた場所だった。

 

ありがとうございました。

from 有