お猿の神様
2023.3.24
先日、八坂庚申堂に行ってきた。
正式名称は「大黒山 金剛寺 八坂庚申堂」。
ここにはお猿の神様が祀られていて、境内には「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿がいる。
そもそもこの「見ざる、聞かざる、言わざる」ということわざの意味を辞書で引いてみると、人の欠点や短所・過ち、自分にとって都合の悪いことは、見ない、聞かない、言わないほうがいいという意味があり、他人についてだけじゃなく自己保身としても使われるらしい。
日本特有の言い伝えのようだが海外でも似たような意味の言葉で「see no evil, hear no evil, and speak no evil」「Three wise monkeys」という言葉が存在する。そのままお猿だった。
改めて言葉の意味を考えてみると、見ざる、聞かざる、言わざるは昨今のインターネット社会やSNSとの付き合い方においてとても必要な考え方のように思う。自分の意見にそぐわない人を批判し、他人の欠点を見つけては叩いて誹謗中傷をするといったことが蔓延化している現代はあまりにも自己の主張と他人への干渉が過ぎるように感じる。みんな、心にお猿を飼おう。
話を戻すと、ここ庚申堂はわたしが申年なことから祖母や母がよくわたしの幸せを祈りに来てくれていたようなのだが、当の本人であるわたしはまだ来たことがなかった("当の本人"というとまるでわたしが猿のよう...)。そういえばお猿のお守りや小さい置物をよくもらっていたな。
一歩入って「あぁ!」と声が出た。このカラフルなお手玉たち、インスタでよく見かける。京都のフォトジェニックスポットとしても人気な場所だ。ここだったのか〜。
カラフルなお手玉たちは「くくり猿」と言うお守りで、欲に走らぬよう手足をくくられ身動きができない姿を表した形をしているんだとか。せっかくなのでわたしも1つ購入して願い事を書き、しっかりとくくりつけてきた。いろんなくくり猿がぎゅむぎゅむに結ばれていてかわいかった。
庚申堂にくるまでに歩いてきた八坂通りは別名「夢見坂」といい、聖徳太子が「いつか京都に都が遷るという夢を見た」と言い伝えられたことから名づけられたそう。八坂の塔を見上げながらのお散歩は眺めが良くて最高だった。同時に、ああ、わたし京都に来たんだなと胸がじんわり熱くなっていた。
そして帰りは二寧坂に寄り道を。人が少なかったので気になるお店に立ち寄りながらのんびり散策できた。明らかに観光客目当てのようなお店も目立って少し残念だけど、それでも建物の古き良き佇まいやここ全体を纏う空気はやはり京都でしか味わえないものだなとしみじみ思う。
知る人ぞ知るスポットから王道スポットまで、隅々まで京都を堪能するぞ!と改めて思った1日だった。