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劇団四季「ノートルダムの鐘」

2023.4.6

2022年12月18日から京都劇場にて上演していた劇団四季「ノートルダムの鐘」が今月の9日で千秋楽を迎える。

 

いつか行きたいと思っていた劇団四季の「ノートルダムの鐘」。せっかく京都のすぐそこでやっているのだから絶対に行こうと数ヶ月前にチケットを購入し、今日は待ちに待った観劇の日。実はわたし劇団四季も大好きで、ライオンキング、リトルマーメイド、アラジンには何度か足を運んでいた(他の作品もはやく観に行きたい...)。

 

ミュージカルのノートルダムの鐘も、アランメンケンの素晴らしい音楽と個性的な登場人物たち、宗教含む時代背景などから絶対に素敵なんだろうなと心躍っていた。

以前ディズニーオンクラシックのノートルダムの鐘の公演を観に行っていたく感動し、興奮冷め止まぬまま書いた記事はこちら→[Infinite Love 〜輝きの未来へ〜]

 

1階の観やすい席だった。舞台のセットがまずすごい。ノートルダム大聖堂を再現するステンドグラスと石像、劇中に大中小の鐘が7つ揃い思い切り鳴らすシーンは圧巻ものだった。始まりのアンサンブルがあまりにも綺麗で出だしから泣いてしまった。

 

面白いと思ったのが演出だ。皆、最初グレーのグローブを羽織って大衆の役を演じながらの登場。さらには語り手をしながら演技もし、暗転などもせずに普通に舞台上で衣装を変えたりする。主人公のカジモドなんか、最初は普通の姿で現れて舞台上で"こぶ"を背負い、体が歪なあのカジモドの姿になるのだ。

 

この演出、最後まで観るとこれは「皆同じ人間だ」というメッセージに繋がっているのかもしれない、と気付く。というのも、最初と最後に「人間と怪物、どこに違いがあるのだろう?」という問いかけがあり、フィナーレではカジモドの顔にあった墨がなくなり逆に民衆の顔に墨が塗られている。これは、「カジモドが怪物だと言われていたが、実は言っていた人間の方こそ怪物だったのではないか」という意味にも捉えられる。

 

...が、わたしはそう一口にまとめるのも違うように思った。

皆それぞれの正義があって、邪心があって、愛の形があって、心に光も闇も一緒に抱えて生きている。考えれば考えるほど、どちらがどうと決めることすら間違えてるように思えてくるからだ。

 

例えば、フロローはディズニーで言ういわゆるヴィランズ(悪者)になるわけだけど、劇中のフロローは昔かなりの弟想いで救ってやりたいと心から願っていた。それをのちに彼は「愛していた」と表現した。カジモドにも酷い名前をつけたり、閉じ込めたり「世間は冷たい、お前は笑いものになる」と言い放ったり一見最低だと思ってしまうが、それもカジモドを傷つけたくない・守れる者は自分しかいないという愛だったようにも思う。

エスメラルダへの愛は......一方的な思い上がりで気持ち悪くて嫌悪感を抱いてしまうけど、まああの恋焦がれて狂うさまからフロローの人間らしい脆さや弱さを感じられる。

そしてそんなフロローにカジモドは「怪物なのはあんただ!」と言い放つのだが、果たしてそうか。

 

アニメーションの話とミュージカルの話では少しだけ内容が違って最後は衝撃的だったが、どうやらミュージカルは原作ヴィクトル・ユゴー「ノートル=ダム・ド・パリ」近い内容なんだとか。読んだことがないので近々読もうと思う。

 

いやあそれにしても劇団四季の公演を観た後は毎回放心状態になってしまう。いつも歌も演技の表現力も演出も本当に本当に素晴らしい。ノートルダムの鐘なんて全然ハッピーエンドじゃないし、むしろ内容は重くずっしりと心にのしかかり苦しい気持ちにもなるのに、それでも何度でも観たい。

 

9日の千秋楽で京都公演が終わってしまうのは寂しいけれど、またいつか観れるのを楽しみにして明日からも頑張ろう。京都で観れてよかった。

from 有