言葉という名のファッション
2023.5.11
ブログの更新が遅れ気味。非常にビハインド。よくない。
今日イラストの仕事のお供に、最近話題の「推しの子」というアニメを流し見してみた。流行りのものは一応把握しておこうという意識が芽生えてしまうのは前職の癖でもはや職業病である。
ただのアイドルの話だと思っていたら色々な条件が絡み合った内容だったので意表こそつかれたが、展開的には今までに見たことのあるようなものだったので「ああ〜こういう感じか」となって終わった。個人的にハマらずワクワクしなかっただけなのでアニメが全くつまらないというわけではない。
妹からもおすすめされていたので見ていることを報告したら「感動して泣けるよね!」と連絡がきたので「泣かせかかってる感じだね」と可愛げのない返事をしたら既読無視された。
こうやって若者のみんなが興味を持ち面白いと思うものに徐々に一緒にときめくことができなくなっていくのだろうか、と最近年上の人の話を聞いていて思う。徐々に内野から外野になっていくんだろうな...。まだ早いか。
そういえば最近の言葉で「むしろ〜まである」というのをよく耳にして聞くたび毎回ゾワってするんだけど、このアニメにもその言い回しが使われていてゾワってした。なんだその日本語は。「お寿司が好きすぎて、魚になりたいまである」とかそういうこと?うーん、例文が難しいな。
あえて崩す日本語がらくちんであり、新しいものは新鮮に見えて面白おかしく取り入れたくなるんだろう。少しわかるところもあるけれど、使い捨てのような言葉たちを自分のボキャブラリーとして採用し乱用してしまうのは少しもったいない気がする。もちろん言葉たちの中にはみんなが使ったために浸透し定着してきた崩し言葉も沢山あって、知らずに使っているものも多いと思う。なんならわたしだって平成ど真ん中を生きていたし無意識に流行り言葉に乗っかってきたかもしれない。そう考えると今の人たちも意識せず取り入れているのかもしれないけど、どうも最近の流行り言葉には"使い捨て"を感じられて残念に思う。
「どうせ捨てるから安いのでいいよ」というようなファストファッション的な雰囲気を感じるというか。わたし的には、言葉とファッションはなんだか近い気がしている。言葉もファッションも、身に纏うものであり自分を表すもの。
質が悪いけど安いものを沢山着るか、良いものを長く着るか、みたいな。その言葉、何年も大事に使うの?って一度問いかけたい。例えば、了解を「り」と言ったりマジを「ま」と言ったり(マジも流行り言葉出身だけど)これを何年も言い続けるのだろうか?きっと言わないと思う。そんな別にたいして大切にしてない言葉たちのこと、やたら利用したり乱用しちゃいけないのではないだろうか。
別にみんな丁寧な言葉遣いにしなさいとか言うつもりもないし、むしろわたしもそこまで丁寧な方じゃないと思うから戒めの気持ちでもあるのだが、自分のことを大切にするのと同じで、自分から出る言葉も大切にしたいと思う今日この頃。
アニメの共感の話といい、言葉の話といい、今日はなんだか口うるさいおばさんみたいな感じになっちゃったな。