どれぐらい
2023.7.14
どれぐらい更新を怠っただろうか。まばらな更新を最後に、1ヶ月ちょっとが過ぎてしまった。どしゃぶりの雨が降ったりカンカン照りになったりしながら、空は夏になろうとしていた。
この期間は本当にあっという間だった、と言いたい気持ちもあるが、実際あっという間ではなかった。なんだか変な1ヶ月ちょっとだったんだ。
調子がいい時はblogも更新できるし、自炊もできるし、体調管理も、洗濯も、すべてがうまくまわせる。ところが、1個でもうまくできなくなるとすべてがドミノ倒しのようにパタパタと倒れていく。
つまり、その時は何かに追われてそれだけのせいで今は"たまたまblogだけ"更新できないと思っていても、結局すべてがダメになっていて、まるでそこに滞留する藻のように、そのうちがんじがらめになっているのだ。
まあこうやってうまくいってはダメになり、ここにぐじぐじ書いてまた頑張ってを繰り返す感じこそ、いい意味でも悪い意味でもわたしらしいのかもしれないな。
この1ヶ月ちょっとに何があったか書こう。
実はわたしが昔から入ってみたいと夢を抱いていた会社に求人が出たのだ。奇跡的な求人で、ダメ元でエントリーしたところあれよあれよという間に二次選考までいくことになった。
なんだか一瞬にして人生の転機を迎える支度が始まったので、お風呂に入っている間に敵が乗り込んできてそのまま闘うことになったみたいな、そんな気持ちの日々だった。
そうは言いながらも、わたしには自分のことや人生をどこか他人事のように捉えてしまうところがあって、今回も自分事として泥まみれになる感覚にはなれなかった。これの直し方がわからない。ただ夢が現実になって降り注いでいることだけは自覚していた。
結果はダメだった。
なんだか、ダメ元なのは大前提としても、それでももしかしてこのまま人生がガラッと変わるんじゃないかと思っていたんだ。自分が想像もできなかったような未来を見れるんじゃないかって期待もしていた。
でもそんな甘いもんじゃない。
自分で這いつくばって泥まみれになった先で、やっといつもと違う角度の景色が見れるくらいのものなんだ、きっと。まったく想像もしなかった世界なんてものは、そう簡単には見ることができない。
前へ進むためには大きな力で引っ張る必要がある。ただ漂っているだけでは、きちんと漂流しないんだ。いつまでも心のどこかでは夢見心地だった甘い自分を恥じた。
漂うことへの安心感と焦燥感、進まなきゃいけないことへの恐怖と期待。そしてその感情の嵐みたいなものをどこか客観視しているわたし。そんな不思議な感覚のまま過ぎ去った1ヶ月ちょっとだった。
久々にblogを書いた。今日も何事もなかったかのように朝が来て夜になる。わたしは何事もなかったかのように洗濯をまわし、ご飯を作る。
そうやってまた、何事もなかったかのように1日、1ヶ月、1年が終わっていくのだ。なにをしてもしなくても、これは変わらない。
そんな毎日の中で、今できることは何か。そんなことを考える暇もないくらいがむしゃらな日々を過ごしていきたいものです。