2024.12

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

また会えるとわかっていても

2024.1.23

わたしの最愛の祖母が亡くなった。

年が明けて1週間が経った時のことだった。

 

わたしは相変わらず年末年始にも体調を崩していて、移しても良くないのでこれが治ったら新年の挨拶も兼ねて会いに行こうと思っていたところだった。それは実現しないまま、電話で話したのが最後になった。

 

わたしは孫大将だったこともあってか、生まれてから今まで祖父にも祖母にも、もうそれはそれは可愛がってもらっていた。お泊まり、旅行、食事、どれも皆勤賞を取れるくらいにはいつもどこにでもわたしを連れて行ってくれていたし、どんな時も暖かく包み込んでくれた。

わたしも祖父母が大好きだった。特に祖母にはいつもぴっとりくっついていた。

 

祖母は、旅行先に持って行ったお着物着て街を歩くような素敵な人だった。絵、刺繍、木彫りなどのものづくりが好きで、主婦業を完璧にこなしながらも作品集を作ったり個展を開いたりもしていた。映画も好きで1人で観に行ったりもしていたようだ。わたしもまだ映画館で立ち見鑑賞が出来ていた時代によくディズニーの映画に連れて行ってもらっていた。

本を読むのが好きだったり、料理がとっても上手だったり、わたしの好きなものと祖母の好きなものはよく似ている。

遺伝子を引き継いだのか、くっついていたから影響されたのか、どちらにせよわたしにとって祖母の存在は大きいものだった。

 

お上品で凛として厳しく美しく、竹を割ったような性格でありながら、ユーモアがあって天然でお茶目で可愛いのだ。そして芸術を楽しみながら主婦を完璧にこなす、最強で無敵の女性。

わたしはそんな祖母を尊敬していたし、憧れの女性だった。いつか祖母のような女性になりたいと、今も思っている。

 

そんな祖母がいなくなってしまうなんて、こんな悲しいことはなかった。今でも悲しい。もう会えないしもう触れられないし声も聞けないことが、本当に寂しい。

心にぽっかりと穴があくというのはこういうことなんだと知った。

 

仕事に向かいながら朝日を見ていたら、あの日放心状態で見た朝やけを思い出した。

大切で最愛の人がこの世からいなくなってしまっても、太陽はのぼり、明るく今日を照らす。残された者は、こうして見守られながら思い出と共に生きるしかないのか。

そんなことを思っていた時に「また会える。いっときのお別れ」という言葉をいただいた。そう思えたらきっと救われるのだろう。そう思いたいと思ってる。

 

ただ、今のわたしにとってはまだ太陽が眩しくて苦しい。そして夜は悲しくて寂しい。だって今会いたいのに、会えないんだから。今のこのいっときのお別れが、寂しくてたまらないんだから。

 

こんなことを言ってても仕方がない。頭ではわかってる。きっとこうやっていろんなことを思い日常を繰り返しながら、ふと前向きになったり、やっぱり泣きたくなったりして、少しずつ受け入れていくものなんだろう。

唯一救われているのは、素敵な思い出ばかりで、思い出すのが楽しいということ。そして家族という目に見えない絆に助けられているということ。

 

はあ、もうすぐにでも会いに行きたい…けど、せっかくならわたしも祖母に負けないくらいの沢山の思い出を抱えて会いに行きたいから、もう少しこの世界で祖母のように素敵に生きてみようと思うよ。

 

その時まで。

from 有