いつか1本の太い道になるように
2023.4.3
先日、初めて京都国立近代美術館に行ってきた。
2.11-4.9の間で「甲斐荘楠音の全貌 - 絵画、演劇、映画を越境する個性」がやっていた。甲斐荘楠音は(かいのしょう・ただおと)と読み、大正から昭和にかけて活躍した京都生まれ京都育ちの日本画家だそうだ。全然知らなかったのだが、なんだか面白そうだったので入ってみることにした。
展示は「序章:描く人」、「第1章:こだわる人」、「第2章:演じる人」、「第3章:越境する人」、「終章:数奇な人」を軸に構成されていて、甲斐荘楠音が描いた絵、演じてきた姿、手がけてきた衣装が章に合わせて展示されている。
日本画は女性ばかりなのだが、どれも表情が妖艶で体や着物などすべての曲線が美しい。美しいだけじゃなくて、個人的には線の入れ方や色使いにイラストっぽいポップさも感じる。西洋の画家や文化からも影響を受けていたようで、日本画の概念に囚われない姿勢が絵にも出ていたのだなと納得であった。
「裸」のことを「肌香」と表現していたというエピソードも印象的だった。確かに、甲斐荘楠音の描く柔らかそうで滑らかそうな肌からは本当に香りまでしてきそうなほどリアルだった。
甲斐荘楠音のすごいところは絵だけではなかった。歌舞伎が好きだった彼は演じる方にも興味を持ち、実際に女形を演じたりもしていたそう。描いている絵の女性がそのまま出てきたようだった。
そこからさらに面白いのが、日本画→演劇ときてその後なんと考証家として映画の世界へと転身したのだ。旗本退屈男の「謎の○○○」シリーズを中心に手がけた過去の着物衣装がずらりと並べられていたがどれも個性的で面白く、なんなら北欧のような可愛い柄まであって、当時これが受け入れられていたことに驚いた。旗本退屈男って名前、面白い。
自分の続けていたことが評価される、好きなことが形になる、いままでやってきたことが全く別のフィールドで活かされる。すべてが別々のようで繋がっていて、最終的に綺麗で太い1本の道になっているような感じがして、羨ましく思った。もちろんそこには計り知れないほどの努力や苦労、探究心があったのだろうけど。
わたしのこの毎日果てしなく続いている細いバラバラの道たちが、いつか強くて綺麗な1本になるのだろうか。好きなものは形になってキラキラするのだろうか。いや、そうさせるために努力するしかないじゃないか。そんな風に自問自答したりしながら展示を後にした。
甲斐荘楠音は全く存じ上げていなかったけれど、知らない人の展示でもふらっと入ってみるといいなと思った日だった。